(新)後藤仁のスロー・クルージング
軍事関係図書(洋書中心。自腹で購入!)の書評と日々の雑感
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T-64 BATTLE TANK その2
このところ梅雨といいながら、30度を超える日が続いている。オヤジが住んでいる田舎堤は、なんせ田舎なので東京23区よりも少しは温度が低いものの、それでも昨日7日は空調を入れた。さすがに暑かったのだよ。

このところ朝9時から午後4時の呑みタイムまで、ずっと仕事に勤しんでいる。350枚ほど書かなければならないのだが、8日間で84枚とまあ1日10枚のペースで進めている。まずまずではあるな。

先ほど、ざるそばで昼食を済ませたので食後の一休みと思い、可愛い水トアナが出るヒルナンデスを横目で見ながら、このブログを書いている次第。連日同じことばかりしてきたので、少し疲れてきたのだな、きっと。

朝ニュースを見ていたら、オリンピックで訪れる外国人がコーヒーと間違えるというくだらない理由で、古くから伝承されている温泉を示す地図マークを描き換えるとのこと。どこのどいつだ、そんな阿呆なことをいった奴は!

間違えるのは間違える奴が悪いんだろうよ。ヨーロッパやアメリカが、そんな理由で古くから存在する図柄を変更するなどということは金輪際あり得ない。気を遣うところが違うんだよ。この阿呆どもめらが。

さてここからは先回の続きで、T-64シリーズの生産数が1万輌を超えながらもソ連としては非常に少ない生産に終わったことはすでに書いた。そしてそれがコストの問題にあることも書いている。

それを数字で示すと、最初の生産型T-64が1968年1月1日の時点で、生産に要するマンアワーが22,654:1、単体コストは143,000ルーブル、これがT-64Aになると1973年の時点で194,000ルーブルに跳ね上がり、T-64Bに至っては1976年で318,000ルーブルと、T-64の倍以上となっている。

これだけでは比較対象がないのでわからない…、ということで1973年の時点で、T-62の生産に要するマンアワーが5,855:1、そして単体コスト62,000ルーブルと比べると、T-64シリーズが桁違いに高額な戦車であることがわかるだろう。

さらに本書ではいろいろと面白い数字が記載されており、まずソ連邦崩壊直前におけるT-64シリーズの配備数は、T-64Aが1,386輌、以下T-64AK220輌、T-64B1,192輌、T-64BV159輌、T-64B1 420輌、T-64B1K/BV1K27輌、T-64R578輌の、計3,982輌としている。

またソ連側が計算した西側戦車との戦闘力に関する数字として、T-55を1とした場合、T-62は1,35、M60A3は2.2、レオパルト1A1は2.2、チーフテンは3とされ、西側の戦車に水を開けられているとソ連側では認識していたことがわかる。

これが第三世代戦車の場合には、1970年代の時点でT-72とT-64を1とすると、T-80Bが1.15、M1エイブラムズが1.72、レオパルト2A1が1.99、1980年代になるとT-72Bが1、T-64Bが1.1、T-80Uが1.13に対して、チャレンジャーが1.31、M1A1が1.56と、戦車の戦闘能力という点では、常に西側に差をつけられていたということになる。

これは西側が出した数字ではなく、ソ連の研究機関が試算した数字なので信頼性は高いはずだ。この他にも面白い記事が多く、ソ連戦車ファンならずとも押さえておきたい一冊だろう。
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T-64 BATTLE TANK
チャレンジャー戦車が終わってから、しばらくの間はのんびりとしていたのだが、急に戦車百科の車種追加とイスラエル軍の戦車の原稿が入り、ようやく今日7月3日に書き終えた。それでも合わせて100枚を超えているのだから、それなりに頑張ったと思う。

そして呑みタイムである16時まではまだ間があるし、滞っていたブログを書こうと思った次第。まあ呑むと19時前後には寝てしまい、23時頃に起きて後は4時まで眠れないので、毎日撮り貯めた映画を見ているという、だらけた毎日というわけだ。

そして今日のつまみだが、鼻をつまんでもいられないので例のごとく温奴と、解凍した鶏肉を使って小松菜の塩炒めでも作ろうか。塩昆布を加えると、結構美味いのだ、これが。

さて今日は、5日前に届いたオスプレイの「T-64 BATTLE TANK」を紹介しよう。著者はソ連戦車ときたらのスティーブン・ザロガで、ページ数48ページという小冊子ながら、その情報は思っていたよりもかなり多く、おそらく英語で読めるT-64最良の一冊だろう。

例のごとく開発から技術的な特徴、各型式というオーソドックスなスタイルにまとめられているのだが、随所に今まで知らなかった記述が見られ、読んでいて面白い。って、オヤジのところにはソ連戦車の資料が少なく、ソ連戦車のファンならば当たり前のことなのかも知れないのだが…。

本書を読んでいると、ソ連側が大きな期待を本車にかけていたことが伝わってくる。何しろ当初はすべての戦車生産を、T-64に統一しようと考えていたのだから、それも納得がいく。確かに機関系や自動装填装置などの問題は存在したが、これらは順次解消されていたことが本書でわかった。

つまりこれまで言われていたように、本車は決して失敗作などではなかったということだ。また本書では、その生産数も詳しく記載されており、最初の生産型T-64が1,192輌、主砲を125mm砲に改めたT-64Aが5,380輌前後、そして砲身発射型対戦車ミサイル コブラの運用能力を追加したT-64Bが5,600輌前後としている。

この数字は指揮車型などの派生型を含んでおり、トータルで12,172輌前後という数字は、西側の主力戦車と比べると十分な数が生産されたといえる。そしてこれまで伝えられてきた生産数とは、若干ではあるが相違が見られることも判明した。

しかしこの数字は、ソ連の戦車としては決して多いものではなく、当初の計画ではT-64が22,564輌、T-64Aに至っては143,000輌の生産が考えられていたのだ。これは前作であるT-62の62,000輌の3倍近い数字ではある。

しかし計画の1/10以下の生産数にとどまったのは、前述の問題もあるが何よりも、あまりにも高額な製造単価にあった。そしてより安価なT-72の登場により、計画をはるかに下回る生産数に終わったのだ。(以下次回)